『劇団空白ゲノム』の旗揚げセブ公演が最高によかったよかった

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『空白ゲノム』という劇団の公演を観てきました。

  • リアルライブで演劇を観るの楽しい
  • 声のチカラはすごい
  • 表現をしている人は無敵

こんな感じの感想です。記事の後半にドッと書き溜めてます。

このブログの読者はほぼ司法試験を控えていると思いますので、お時間を取らないために端的に感想をまとめました。

場所はセブ・マンダウエ市の松之家

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チケットを予約してから120回くらい「場所どこだっけ?」ってなって『松之家』であることを確認して120回くらい「なぜ松之家?」となりました。

なぜなら松之家はレストランだから。レストランで演劇?マグロを捌く演出でもあるのかな?と思ってましたが、その謎は公演中に解けました。マグロは出てきません。

ここがすごいと思ったところ2つ

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「すごい」と感じたことが1億個あったので2つにまとめました。空白ゲノムさんが意図している箇所を見事に外した感想だったりしますし「演劇ってそういうことじゃない」って思われそうなことを言いますが、僕が感じたんだからしょうがない。

【シナリオ】と【リアル】の矛盾をクリアしてるのすごい

3つ目の作品『ゴールドラッシュ』は、出会って間もない3人の盗賊が1億円を探し当てるために集結し、交流を深めながら共通の目的である一攫千金を試みる物語。

物語の始まりから終わりまで10分くらいだったと思いますが、この10分間、どこを巻き戻しても「で、何が言いたかったん?」という感想しか思い浮かんでこない傑作。

僕たち人間は、舞台や映画・ドラマなどを観覧すると意識しなくてもその作品から「教訓」や「意味」を収穫したくなる生き物。「これはこういう意味があってこういうことに気づかせたいんだよね〜」とお前誰やねんとツッコミたくなるくらい解説し始める人がたくさんいるのは、このせい。

そういった解説者たちが「で、何が言いたかったん?」と言い合ってそうな『ゴールドラッシュ』ですが僕はこの作品を見て「なんかわからんけどもう1回見たい」と思います。

というのも「もう1回やってください」と再演を希望しても、1回目と全く同じものは絶対に観ることができない、というジレンマが最高に脳をくすぐって楽しいからです。

僕たちは、どんな人とでも、互いのことをあまり知らない他人同士から関係が始まっています。が、徐々に他人ではなくなっていく。

プライベートの名刺交換を繰り返していくうちに”よく知っている人”へと昇格していき、その名刺を無くしたとしても仲間意識という絆が生まれてくる。

この過程を、知らず知らずにリアル世界でおこなっている僕たちに台本はありません。

演目である限り台本や段取りが存在する。けれど、本来生々しいはずの「仲間意識の発芽」にシナリオを感じさせてはいけない。その矛盾を、役者3人はもうそれはそれは見事に突破していました。

公演終了後に役者の方々に「練習し過ぎることでリアルさが減るゴールドラッシュは難しかったのでは」と問うと「セリフを直前で変えている」とのことでした。すごい。

『ゴールドラッシュ』に関しては「で、何が言いたかったん?」と聞かれたら「別に何もいってない」という答えが最も中心を捉えている気がするし、脳みそをおちょくられただけ。

欲をいえばあの5倍の時間「ネコー!!!」って叫んで欲しかったと思うくらいガキっぽい側面がありながら、シナリオとリアルの狭間を行ったりきたりする役者の腕の見せ所にただひたすら感動した、という話です。

野球選手の良し悪しを図る側面って、例えば脚力だったり捕球の正確さだったり、チャンスで打てるかどうかだったりします。

50m走が6.3秒で走れる、ボールを120m投げ飛ばせる、ホームランを年間40本打てる。全ての良し悪しを数字とデータで表すことができるスポーツは、選手同士の優劣を非常に付けやすいです。

では、優劣を役者に付けるとなると、何を見ればいいのでしょう。という問いかけを自分自身にしていると、表現というジャンルにおいて優劣をつけることは「なんとナンセンスであることだろう」という結論に150回くらい達しています。

「ある程度のクオリティを越えたら、優劣はその人の好きこのみ」という持論を151回目のなんやかんやを経て導き出したのですが、これは歌にしても絵画にしても舞台にしても言えることだな、と。

では、僕にとっての「好きこのみ」ってなんだろうなと考えたところ【声】に行き着きました。

2作品目である『砂鉄を拾っていたら夏が終わっていました』(作品名を覚えていないので11の才の僕のリアルを書きしためました)では、ほぼ目をつぶってました。

役者の1人が大きな柱に隠れて見えなかったから、という理由もあって「どうせ見えないんだから目を閉じて別の感覚で味わってみよう」という発想です。これが本当によかった。

奥さん役、そして砂鉄役の会話だけで進んでいくストーリーだったのですが、奥さんの感情が揺れ動いていく様が【声】だけでわかるわかる。逆に、砂鉄役の声は常に一定。これは一辺倒で一定にしか表現ができないという訳ではなく、表現力という筋力を使って出せる一定。(あと砂鉄役は出てきません。ネタバレになるので砂鉄と表記しているだけです。)

目を閉じて、声だけを聴いているだけで表情がわかる、焦りが伝わる、物語の核が見えてくる。ラジオドラマを聴いているかのようでした。

僕は耐えきれずにラストシーンで目を開けてしまいましたが、ラストシーンでも目を閉じたままでいたかったなー、という話です。それで伝わるものがあったら【声】のチカラって凄すぎる。

まとめ

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というわけで空白ゲノムさんたちに本当にお礼を言いたいし超ブレてる写真でごめんねという内容でお送りしました。

表現している方々の存在は、まず表現の敷居を下げてくれます。そして「表現」をしている人に希望を与えてくれると思います。

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こころがつまづいて入退院を経たその日に、これらの表現を感じることができたのは嬉しい。

首あたりに悪魔の顔をした猫が爪を立ててぶら下がっているような状態が続いていますが、1歩1歩踏み出すために、どこの筋肉が必要なのか確かめながら歩いていきます。

こういう楽しいこと考えてるらしいです。

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